どうも。Thinkともうします。
今回なんとなく気になってしまった、鳩の童謡。
2番がわからなかったので、調べてみたところびっくりしたことが。
こちらがその元曲です。(Wikipediaより引用)
一方こちらが、1941年に改編された曲だそうです。
鳩。
私達の身近にいる鳥。だからこそ私達の身近な童謡。
しかしこの改編版。聞いたことがない。
私自身 10代なのだが、一番の
「みんなでいっしょに食べに来い。」
なんて聞いたことがない。
「みんなでなかよく食べに来い。」
としか聞いたことがない。
その時は間違いなく「みんなでなかよく食べに来い。」と教わっていた。 だから今もそうやって覚えている。
このように改編が加わっていてもそれが認知されていないのであれば、意味がないのではなかろうかと考える。
一番では、「みんなで仲良く食べに来い。」が消されている。しかし二番では「みんなで仲良く遊ぼうよ。」となっている。
そこで考えたことは、生物本来の特徴として3大欲求の食をシェアする事自体まず考えられず、仲良く食べるということはおかしいのではないかと考えた。
そう考えると、二番の食べ終えた後に仲良くいることは納得できる。
しかしそうなるとなぜ、食事を終えた後も食事を与えた者の周辺で遊ぶということになるのか。
食べるものが無くなった以上そこにいる意味は無くなる。しかし一部個体はその場に鎮座するであろう。
そこで、一斉に鳩が飛ぶ要因を考えてみた。
すると導き出せるのは
「第三者による介入」もしくは「餌を与えた当事者である自分による武力行使」
ではなかろうか。
そのように考えると、原曲は平和の象徴である鳩に対して問題のある表現だったと考えられる。
今回このような事を調べてみたが、非常におもしろい。
このような変なことを、たまにネタにしてもいいだろう。
今回なんとなく気になってしまった、鳩の童謡。
2番がわからなかったので、調べてみたところびっくりしたことが。
こちらがその元曲です。(Wikipediaより引用)
- ぽっぽっぽ、
鳩ぽっぽ、
豆がほしいか、
そらやるぞ。
みんなでなかよく
食べに来い。 - ぽっぽっぽ、
鳩ぽっぽ、
豆はうまいか、
食べたなら、
一度にそろって
飛んで行け。
一方こちらが、1941年に改編された曲だそうです。
- ぽっぽっぽ、
はとぽっぽ、
豆がほしいか、
そらやるぞ。
みんなでいっしょに
食べに来い。 - ぽっぽっぽ、
はとぽっぽ、
豆はうまいか、
食べたなら、
みんなでなかよく
遊ぼうよ。
鳩。
私達の身近にいる鳥。だからこそ私達の身近な童謡。
しかしこの改編版。聞いたことがない。
私自身 10代なのだが、一番の
「みんなでいっしょに食べに来い。」
なんて聞いたことがない。
「みんなでなかよく食べに来い。」
としか聞いたことがない。
改編が伝わって無くても、それは改編なのか。
私自身この曲は学校で教わったわけでもなく、私の親・祖父母から教わった。その時は間違いなく「みんなでなかよく食べに来い。」と教わっていた。 だから今もそうやって覚えている。
このように改編が加わっていてもそれが認知されていないのであれば、意味がないのではなかろうかと考える。
なぜ"仲良く"食事できないのか
そこでなぜ改変してみたかを考えてみる。一番では、「みんなで仲良く食べに来い。」が消されている。しかし二番では「みんなで仲良く遊ぼうよ。」となっている。
そこで考えたことは、生物本来の特徴として3大欲求の食をシェアする事自体まず考えられず、仲良く食べるということはおかしいのではないかと考えた。
そう考えると、二番の食べ終えた後に仲良くいることは納得できる。
しかしそうなるとなぜ、食事を終えた後も食事を与えた者の周辺で遊ぶということになるのか。
食べるものが無くなった以上そこにいる意味は無くなる。しかし一部個体はその場に鎮座するであろう。
そこで、一斉に鳩が飛ぶ要因を考えてみた。
すると導き出せるのは
「第三者による介入」もしくは「餌を与えた当事者である自分による武力行使」
ではなかろうか。
そのように考えると、原曲は平和の象徴である鳩に対して問題のある表現だったと考えられる。
今回このような事を調べてみたが、非常におもしろい。
このような変なことを、たまにネタにしてもいいだろう。
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